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留学BLOG

2025.06.28

「自分」を見つめたパリでの留学生活

【はじめに】
私は20249月から20255月までパリ・カトリック大学で交換留学をしました。エッフェル塔のもとで過ごしたこのかけがえのない8か月間を、是非皆様と共に振り返りたいと思います。
ところで私がこの度の留学を決意したのは、仏語学習歴の長さに反して現地に足を運んだ経験がなく、「自身の仏語力を試してみたい」という思いが強まっていくのを感じていたためです。こうした背景で始まった挑戦でしたが、正直なところ、伝える難しさに直面しては何度も悔しい思いをしてきました。しかし同時に、はじめて仏語が「通じた」と思えた時、自分の想いをそのまま言葉に乗せられたと感じた時の喜びは、今でも忘れることができません。
このように留学中は言葉をめぐって一喜一憂しながら「外国語を学ぶ」ということの本質と向き合ってきましたが、その中に、自身を原点に立ち返らせるような大きな気付きがありました。それは「これまでの机上での蓄積がいかに重要であったか」ということです。
机に向かっているときは当たり前のようでなかなか見えてこないこの気付きは、実際に言葉を紡ごうとするとき、それを支えるだけの自信になってあらわれてくるものなのだと実感することができました。憧れの地に辿り着くまで、長い時間をかけて下準備を重ねてきましたが、そこで歩んだ道のりあってこそ、現地で「花開いた」と感じられるような瞬間に巡り合えたのだと振り返っています。

帰り道に見られた贅沢な景色

【住まいについて】
さて、留学するにあたり最も大変だと感じた準備は住まい探しでした。特にパリ市内では、治安や大学へのアクセスの良さなどを考慮した上で希望に合った物件を見つけることは非常に困難であるといわれています。交換留学の場合、大学側から優先的に寮をあてがっていただける場合も多くあるため、あまり心配しすぎる必要はありませんが、パリ・カトリック大学は寮の抽選枠が限られており、残念ながら私も落選してしまいました。
こうした状況だったため、留学前の数か月間は、毎日掲示板サイトを確認したり、帰国者レポートに載っている連絡先を頼りに先輩方にメールを送ったりと、必死の思いで物件探しに励んでいたのを覚えています。最終的には、ご縁あってゼミの先輩に紹介していただいた14区のアパルトマンを契約するに至り、パリでの一人暮らしに向けて住環境を整えることができました。
このアパルトマンの契約は日本人の大家さんと不動産の方を通じて行われたため、手続きは全て日本語で進めることができ安心でした。また以前住んでいたのが同年代の学生だったこともあり、キッチン用具や寝具などが入居前から全て揃っていて、幸いにも大きな準備を要することなくすぐに生活の基盤を築くことができました。
立地としても、大学や駅、スーパーなどの生活に必要な施設がすべて徒歩圏内にそろっていて非常に恵まれていました。さらに最寄り駅が大きなターミナル駅であったことから、旅行の際の出発地点としても利用することができました。
また隣に住むご家族は、顔を合わせるたびに優しく声を掛け、何度も手料理を振舞ってくださるなど、常に私のことを気にかけて接して下さいました。はじめての海外での生活に加えはじめての一人暮らしという状況で、渡仏前は不安な思いも抱えていましたが、こうした温かな気遣いのもとで終始安心して過ごすことができました。
住まいを決定させるまで大変な思いをした時期もありましたが、隣人ご一家との巡り合わせも含め、あの小さなアパルトマンで過ごした日々は私の宝物になっています。

アパルトマンに到着した時に撮った写真

お隣のご家族に振舞っていただいた手料理

【大学生活について】
パリ・カトリック大学は、同じカトリック校ということもあり、どこか上智大学に似た雰囲気を感じられる大学でした。全学部が集約されたキャンパスは、古き良き気品の中に活気と落ち着きを兼ね備え、私にとってすぐにお気に入りの学び舎になりました。
大学では社会学と国際関係論を主な専攻とし、ライシテ原則やジェンダーの問題、EUとその機能についてなど、実に幅広く学びました。講義は通常、1コマ2から3時間と長丁場ではありましたが、教授学生間の活発なやり取りのもとに成り立つ形式で、決して長くは感じませんでした。むしろ参加学生の関心度の高さや前提知識の分厚さに圧倒され、毎回大きな刺激を受けていたのを覚えています。
また併せて受講していた留学生向けのフランス語のクラスでは、外部試験の対策も兼ねてディスカッションを沢山経験しました。テーマは毎回異なり多岐に及んでいましたが、「日本ではどうか」と、国別の視点で意見を求められることがほとんどであり、自己の無知さやこれまでの無関心性に直面しては、そのことを強く恥じました。
その上で、「意見や立場をきちんと持っている」ということは、言い換えれば「社会の動きを自分事として背負う責任を持つ」ことになるのだと、強く実感することができました。「自分事だから学ぶ」、「立場を持つために知識を得る」という感覚は、現地学生から吸収したことの中で自分に最も足りないと感じられたことであり、帰国後の今もこれからの成長点として受け止めています。

【友人たちとの出会い】
私にとって留学中に得られた最も大きな財産は、「親友」と呼べるほどの友人関係を築けたことにあると思っています。彼女たちは私がまだ一人で講義を受けていた頃に初めて声を掛けてくれた存在であり、「抹茶」という嗜好の共通点を介してその交友は一気に深まりました。
彼女たちと関わる中で最も強く実感したのは、「気が合うという感覚は言葉やルーツに拠らない」ということです。勿論、そう思わせるほど彼女たちが周りを巻き込む力と言葉を汲み取る力に長けていたということも理由のひとつではありますが、完全な意思疎通が伴わない中で、これほどまでに安心感が芽生えるものなのだと驚きすら覚えました。
また彼女たちの築く関係性に、人と人との繋がりの良さや温かさを改めて見つめたような思いにもなりました。何でも共有し合い、一見して感情に遠慮のないようにも見える自然体でありながら、相手を自分のことのように愛し、尊重する気持ちが垣間見え、そうした素敵な関わりの中に身を置けたこと自体が幸せだと何度も感じました。帰国直前、最後の食事会をしながら再会を誓った同胞たちとの時間は、今でも忘れることのできない思い出として強く心に刻まれています。

友人宅でのパーティーの様子

【課外活動について】
仏語を生かして何か活動したい、日仏文化交流の機会がほしい、との思いから、留学中はボランティアスタッフとして2つの日本文化イベントに参加しました。一つ目はC’est bon le Japonと呼ばれる、日本食や伝統芸能を中心としたイベントで、3日間、行列整備をはじめとする来客者へのサポートを担当しました。また2回目はJapan Fesというイベントに携わり、こちらも同様に、円滑な運営に向けて来客者を支える役回りを担いました。
仏語を用いて大勢に指示を出すといった経験ははじめてであっただけに、思うように事が運ばないような場面にも直面しましたが、日本の文化や美徳、価値観を共に愛してくれるような人々に出会えたこと、「日本らしい」とされる繊細な心配りや真心の精神を改めて誇りに思えたことが、自分にとっての大きな喜びとなりました。
また一期一会であると考えていた他の参加者とも、日本での再会の約束を交わすこととなったり、「妹」と呼んでもらえるほどの深い関係性を築けたりと、思いがけないご縁にも恵まれました。世界と日本が繋がる瞬間を自分の目と心で捉えながら、発信者としての立場で、かえって与えられるものの方が大きいような贅沢な時間を過ごすことができました。

大盛況だったC’est bon le Japonのイベント

【終わりに】
8か月間の留学生活は、紛れもなくこれまで生きてきた中で最も自分自身に向き合った期間であり、生涯忘れることのできない人生の宝物になりました。思い返せばまさかの発熱で直前に渡仏日を変更することとなったり、恐れていたスリ被害に遭って財布を紛失してしまったりと、私の留学生活は常に順風満帆というわけではありませんでしたが、周りの人たちの大きな支えを受けながら、いまは結果としてすべてが自分にとっての「正解」であったと確信できています。
さて出発前の私が最初に立てた目標の中に、「沢山失敗をする」というものがあります。
当初は「無難な道ばかりでなく挑戦を選ぶために」、と立てたこの目標でしたが、いつしか挑戦を選ぶことを前提に、「飛び込んだ環境の中でいつも自分を受け入れるために」大切にしたい言葉になっていました。このことは留学を通じて得た最も大きな変化に繋がっているといえるかもしれません。
これから留学を経験される皆様においても、それぞれが踏み出した先で実りある時間を過ごすことができますよう、心から応援しております。

梅本 ひなの